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謹んで震災のお見舞い申し上げます

先ず始めに、「東北地方太平洋沖地震」により、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧と被災された地域の方々の安全とご健康を願って止みません。

種々思うところもあります。その「思うところ」を、以下に綴りました。読み返しました。消しました。

微力ではありますが、小生に出来る限りのことは、全て協力したいと考えております。

執筆者: 春羊

そこに山があるのに…

最近、また山歩きがしたくなってきました。

もともと、子供の頃、遠足で山登りなどしても大して面白いと感じるようなタイプではありませんでした。大体、生まれも育ちも富士山の麓で、それ以外の山なんかは見ても全然見分けつかないような人間な上、地元民にありがちなパターンですが富士山自体も「あれは登るものではなく見るもの」というような感覚でいたので、山を歩くなんて酔狂な人間のすること程度にしか考えていたものです。
それが10年程前に人に誘われて御嶽山に登った時、意外に楽しかったのと、その少し後に新田次郎の「孤高の人」を読んで感銘を受けたところから山岳小説や山関係のノンフィクションを読み漁るようになったのをきっかけに、山や山歩きへの興味が俄然強まって、休日に日帰りできるところを探して登るようになりました。日帰りでも森林限界超えるようなところなどを歩くと、森林を抜けて低木地帯を抜け、頂上に近くは岩場になったりと景色の変化を楽しめますし、渓谷を歩きなんかをすると観光地とはまた違った迫力のある滝を見ることができたりします。そういうところがあるということを知らなかったということもあって、次第に休日になると、次どこ行こうかと思うほど、歩くのが好きになっていました。

が、数年前に結婚し、子供が生まれてからは休日に妻子置いて行くのも若干気が引けるということもあって、なかなか足が動かず最近はめっきりご無沙汰になっていました。ちなみに最後に行ったのは頂上付近にあるビアガーデンで飲むために高尾山登ったという体たらくです。上の娘が生まれたときに、名前をもらった記念も兼ねて富士山登った時に新調したリュックも、結局ほとんど使われないまま3年以上経過してしまいました。

そんな折、隣の席の人が「孤高の人」などの山岳小説を読みだし、それに触発されて私も昔買った山岳小説やノンフィクションを読み返すようになりました。そして、そんなことをしているうちに、山の澄んだ空気や緑の稜線が恋しくなってきました。ここ最近は、山歩きがしたくてうずうずしています。上の娘も3歳で、それなりに連れて行けるようになったので高尾山ぐらいなら最悪ずっと抱っこでもいけるかなとか、鎖場とか危ない崖がないところならなんとかなるかなとか、いろいろ妄想は尽きないのですが、果たして何時行けるやら・・・。

執筆者: 加藤 寿久
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的確な配役

結構昔の話ですが、映画『告白』を観に行きました。
私は普段は映画館まで映画を観に行くことは滅多にないのですが、
広告のインパクトと前評判の高さから、観ずにはいられなかったというか。

ストーリーの斬新さも然ることながら、
プロットとは関係のないようなシーンこそが大切だったりとか、
映像の色や挿入歌の挿入のされ方等、効果も見事に使われていて、
私が言うのもなんですが映画としての完成度の高さに衝撃を受けました。
斬新なシーンがとても多いので、それなりに酷評もされているようですが、
アカデミー賞を獲れなかったのが残念でならない、というのが私の率直な感想です。

そこで唯一気になったのが、配役。

たしかに映画の中だけではそれぞれが適役のようにも思えたのですが、
果たして原作を読んでみた場合、それが本当に適役なのかを知りたくなり、
すぐに原作を購入して読みました。

原作を読んでみて、結局は私の貧相な想像力では他にふさわしい配役は浮かばなかったので、
そこに関してはもはや気にする余地もないのですが、
この原作『告白』は、映画によって完成されたな、という印象を持ちました。
表現技法やストーリー展開についてはここでは触れませんが、
文章だけでは表現しきれないであろうところを、
映像を無駄なく使って表現していたように思います。

つまり、この『告白』で扱われているプロットを他人に伝える場合、
それは映像によって完成するものなのではないか、と。

一方で、最近話題の『ソーシャル・ネットワーク』という映画。
原作に当たるものを読んだわけでもないし、映画もまだ観ていないのですが、
原作の企画書から製作された映画ということで、早々に分岐してしまったのも一因か、
「原作に比べ、映画は非常に薄い」という評価が目立っているように思います。
『告白』と比較すると、こちらは原作と映画が全く異質なものになってしまった、ということでしょうか。

いずれにしても、紙という媒体を使う、映像という媒体を使う、
それ以外の媒体を使う、そのどれがそのコンテンツにふさわしいものなのか、ということを
考えていくことも大切なのでは、と考えさせられました。

「GoogleとFacebookが共にtwitter買収の打診をした」というニュースも耳にしましたが、
これだけ多大な影響を与える各メディアが、その器の中で、
どの情報をどのように伝えようとしているのか、ということは
私たちは常々見極めていく必要があることなのでしょうし、
私たちが製作しているWEBサイトでも、ディスプレー上だからこそ見せたいもの、
書籍ではないからこそ意味のあるもの、をしっかり選んでいく必要があるのかもしれません。

その役割を全うするのにふさわしい配役を選んでいきたいものです。

執筆者: 金澤 秀俊
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節分

 2月3日は言わずと知れた節分でした。
立春の前日、東京では今年、ちょうどこの節分・立春ごろから寒さが緩んできたようです。

 3日朝のブラジルとのSkype授業では、衛星ニュースで見た、というところから、
節分になぜ豆をまくのか。を調べ、午後、授業に来た子供たちとも節分の話をしました。

 そしてそして、
考学舎でも今年は節分の話だけではなく、実際に豆を頂く機会に恵まれました。
いつもお世話になっている近くのレストランおまかせ亭で節分の豆を頂いたのです

 スタッフはみな、年の数(?)だと思う数の豆を食べ、その日授業に来た生徒たちも
それぞれ年の数の豆をたべました。
スタッフ同士も生徒たちとも、豆を食べつつ、おしゃべり。
恵方巻を食べる、という話も結構あったことに驚きました。
特に関東では、数年前まで恵方巻という言葉すら知らなかった、という人が多いと思っていた
のですが半分ぐらいの者が、恵方巻を食べると。

 1年の中で、いろいろな行事がありますが、その行事を過ごしながら、時を感じていくこと。
大切なことなんだな、と思ったひと時でした。

執筆者: 坂本 聰
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ありがたいお話

 ありがたいお話、いわゆる「ラッキー!」が、連鎖していくことがあります。

「こうなったらいいなあ」とか「こんなことしたいなあ」と思っていると
不思議とそれが実現するお話や、情報がまいこんでくるのです。

 あまりにタイミングが良くて、これはもう運命だ!と目に見えない力すら感じる体験。
そんな現象や力を表す、セレンディピティ(serendipity)や、シンクロニシティ(synchronicity)という
言葉があるそうです。
この言葉をきちんと理解しようとすると、なんだかとてもややこしそうなので、それは諦めますが、
大雑把に言うと、偶然幸運に出会う能力や偶然の一致、という意味(だと思います)。

 定義はともあれ、偶然幸運に出会ったり、不思議とも思える偶然の一致があったり、っていう経験、ありますよね?
物事が、とんとん拍子に進んでいるとき、という時にセレンディピティ(serendipity)、シンクロニシティ(synchronicity)
と言う言葉を使うとよいのでしょうか。

 さて、私の話ですが、この言葉を使いたくなる出来事が、最近続いています。
そう、ありがたいお話がたくさんなんです。

 嬉しいエピソードを語り出すと、ちょっと全部は紹介しきれないほどです。
その一部を、ご紹介させてください。

 十年以上会っていなかった友人のブログを偶然、見つけました。私が学生時代のほぼ全てを注ぎ込んだ「ラクロス」
について書いていました。その人自身は、ラクロスとは縁がなかっただけに驚きでした。
ある素晴らしいラクロスプレイヤーと出会った、という内容も素敵なものだったので、早速、私はそのブログにコメント
をして、ネット上でですが、その人と久々の再会を果たしました。
最近では、しょっちゅうやり取りをしています。
その人は、現在アスリートのキャリア支援のための事業を手がけています。素敵なことをやっているな、と心が動きました。

 そんな折、今度はfacebookで、これも十年以上会っていなかった友人と久々につながりました。
その人は、元ラクロスプレイヤー、大手銀行勤務を経て、今、「コーチング」のコーチという仕事をしています。
そして、これから仕事の傍ら、母校のラクロスチームのサポートをしようとしている、というのです。

それを聞いた私は、うずうず。ちょうど、スポーツ選手のサポートをする例の友人に共感して心が熱くなっていた時です。
「私も、自分の母校のチームのサポートをやりたい!」と考えるより前に話していました。
有難いことに、彼は快く協力しようと言ってくれました。
ワールドカップに2回出場、学生現役の時は主将だった凄い選手で、今はコーチをやっている人の「協力するよ」の言葉には
感激しました。しかも、彼の母校チームは、昔も今も、学生日本一レベルの強豪チームなんです。
頼もしいったらありません!

 そして。
では自分の母校チームで何か、と思ったところで、私は今やOG会に在籍しているだけ。現役の学生と面識すらありません。
次に開催されるOG会に出席してコンタクトしてみようか、でもOG会はまだちょっと先だな、と思っていた矢先、
私の息子の小児歯科医の先生から、ある連絡がありました。

「僕の患者さんで、君の母校でラクロスやってる女の子の就職祝いをするから、君も来ない?」

というわけで、一週間も経たないうちに、チームの後輩と、出会えることが出来ました。

その子がまた素晴らしい子です。(流石、私の後輩!)
その子自身はもう卒業間近で引退した身であるけれど、選手育成は、ずっと課題として思っていることだから
是非、現役チームに働きかけたい、というのです。
私達、すぐさま意気投合しました。

というわけで、近日中、私の母校チームの4年生と、コーチである私の友人と、私とで、初顔合わせをします。
母校チームが掲げる「学生日本一」を目指す、大きな一歩になりますように!そして就職支援もばっちりと!

 これが、私の有難いお話の一部です。こんなことが他にもまだまだあるんですよ。

「こうしたいな」と思ったことが、感謝のシャワーの中であれよあれよと、動いていく。
これこそ、セレンディピティ(serendipity)、シンクロニシティ(synchronicity)という事なんだと思います。
 そしてこういう出来事に囲まれている中、それぞれのチャンスを私に与えてくれる人たちに
嬉しい報告と感謝の言葉を何度となく伝えられるのは、とっても嬉しいことです。
不思議なことに、こうしたことが続くと、「つながっていく」というか、元々「つながっている」
という感覚を覚えます。

 先日、これも十年以上ぶりに(今回のキーワードは、「十年以上ぶり」でもありますね)
映画館で映画を見ました。
これも友人からの有難いお誘いがきっかけでした。

地球交響曲「ガイアシンフォニー(Gaia Symphony)」
http://www.gaiasymphony.com/

ドキュメンタリー映画ですが、これがまたセレンディピティ(serendipity)、シンクロニシティ(synchronicity)
がテーマだよね!と思うような内容です。
地球の中の私、をテーマに出演者が自分の話を語る内容と、美しい自然の風景が
「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という強烈なメッセージを伝えています。

ひとつの生命体である。つまり、元々つながっている、ということですね。
そう考えてみると、偶然のつながり、セレンディピティ(serendipity)やシンクロニシティ(synchronicity)は、
何ら不思議なことではないのかもしれません。
自分と周りや地球全体とのつながりを感じることで自然に起こっていくものなんだろうと思います。

ありがたいお話。
これからもどんどんつながっていくとよいなと思っています。
私も、たくさんの人にありがたいお話をつなげていけますように。

執筆者: 青崎 史代
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